老武士は?

「お泊まりなさいまし」「柏屋でございます」「へいへいこれはお早いお着きで」――などと云っていた出女の声も、封ぜられたようになくなって、萩村の駅は寂静《ひっそり》となった。 こうして夜が次第に更け、柏屋でも門へ閂《かんぬき》を差した。客も家の者も寝《しん》についたらしい。 で、何事もなさそうであった。 では何事も起こらなかったか? いやいや変わった事件が起こった。 奥に一つの部屋があったが、消えていた行燈《あんどん》が不意に点《とも》り、ぽっと明るく部屋を照らした。 見れば一人の老武士が、床から起きて行燈の側《そば》に、膝を揃えて坐っている。

老武士は?

 二番目に着いた駕籠の中から、立ち現われた老武士であった。 何やら口の中で呟いたかと思うと、老武士は部屋の中を見廻した。と、にわかに立ち上った。それからそっと襖《ふすま》をあけて、隣り部屋の様子を窺《うかが》った。「隣り部屋には客がない」 で、安心したようであった。が、再びそろそろと歩いて、反対側の襖へ行くと、細目に開けて覗いて見た。「有難い、この部屋にも客がない」 しかしそれでも不安心と見えて、廊下に向かった障子をあけると、顔を差し出して左右を見た。「よし」――で、引っ返し、二度行燈の側へ坐り、両手を袂《たもと》から懐中《ふところ》へ入れた。

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